読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

日なたの窓に憧れて

メンヘラなおたくの雑記です。

謝辞と送辞

思考 日常

 

 

ガガガSP 「卒業」 - YouTube

 

 

むかーし昔、好きだった(と思っていた)人から久々に連絡が来た。「第一志望に受かりました」という旨の、簡素なもの。わたしはほう、と呟いて、少し憂鬱な気分になった。

残念ながらわたしはスーパー悲劇のヒロインおセンチめんへらポエマー女なので、少し彼について書かせてもらおうと思う。もし彼が見たら自分だ!と気づくだろうけど、さすがに見つからないはずだ(と信じている)。

 

彼とはむかーし、相思相愛であった。まだほんの子どもだったけれど、それでも子どもは色恋に真剣で、わたしたちは好きあっていた。彼はその当時からとても聡明で、賢かった。まだ偏差値や階級やアイデンティティが確立していない時期だったから、わたしともずいぶんよく話してくれた。彼の言っていることはたまに少し難しくて、でもわたしや周りの子がわからないと、あきれるような態度を取りつつ丁寧に噛み砕いて説明してくれた。そんなところが好きだったのだと、ぼんやり思う。もうずいぶん時間が経ってしまったから、景色よりも感情ばかりが濃ゆく残っている。当時の記憶はわたしにとっては苦々しいものばかりだから、思い出さないように気をつけていたらきれいさっぱり忘れてしまった。

 

彼から某超有名大学志望だと聞いたとき、そこまで驚かなかった。驚いてほしかったみたいだけど、当時の賢さから言っても、むしろこの人は受かるだろうな、となんとなく勝手に思っていた。ちょうど、受験の時期にわたしと彼の2人に色々あって、(というよりわたしが色々してしまって)、彼はわたしに少しひどい態度をとった。受験中だし、今なら仕方ないと思える。でもわたしは自分勝手で悲劇のヒロインだったので、意地を張って、恋愛経験の少ない青年の心に傷をつけるには充分なキツイ言葉を何度もお見舞いしてしまった。少し時間が経つと申し訳ない気持ちでいっぱいになってしまったが、会話していると望む言葉や言いたい言葉が上手く伝えられずに酷い言葉を何度もぶつけた。

でもそのたび、彼は下手に出て上手くおさめてくれていた気もする。どこまでも臆病で優しい人だった。ものすごく自分勝手な言い方をすれば、わたしを理解しようとしてくれていた人だったのに、わたしは相手に理解しようと歩み寄れなかったことに、とても後悔している。

何度も謝ろう、と思った。大事な時期だったのに、一番支えてあげなければいけない人だったはずなのに、そんなわたしが酷い態度をとったこと。冷たい言葉を浴びせたこと。素直になれなかったこと。そんなぐちゃぐちゃのまま時間だけが流れて、何もかもなかったことになってしまったこと。

今回、受かったという連絡が来たとき、これが最後のチャンスだと思った。謝れる、そしてありがとうが言える。でも、わたしの謝罪はすでに自己満足のオナニーでしかない。彼の念願叶った門出に、最悪でしかない、水に流そうとしてくれた記憶を掘り返して ごめん、だなんて虫が良すぎる。

 

だから、わたしは薄っぺらな「おめでとう」という言葉を、精一杯の明るい調子で送信した。祝う気持ちは本当だ。ただ、わたしは、彼がどんなふうに苦しんで、どんだけ頑張ったのか知らない。そばで見てないから。支えてないから。むしろ、受験の最中にわたしのつけた傷を、彼の周りの懇意の方に癒してもらい、彼自身で乗り越えたのでしょう。こんな立場のわたしが彼の努力を称える言葉なんて吐けないし、今の彼をよく知らないわたしには彼の展望を語ることもできない。だからわたしは、「おめでとう」という、とんでもなく薄っぺらくて、そしてとんでもなく大事な言葉で、彼の門出を祝うことしかできない。

 

 

結局、彼とは釣り合わない人間だったのだと思う。もし、彼にとっての最悪な思い出になってしまっていたら、それはほんとごめん。もっとあなた自身を想ってくれる気立ての良い子と幸せになってください。 わたしにとってはまあまあ良い思い出だ。苦いけど。これで学習して成長できるとも限らないけど。

直接ごめんなさいができないから、こんなところにこんな文章を上げてしまう。全く、めんへらポエマー女には気をつけた方がいいぞ!!! とりあえず、今までありがとう。ごめんなさい。そして、本当におめでとうございます。

 

 

 

 

 

 

 

 

カウントダウンがはじまっている

俳優

世界でたったひとりの大好きな俳優が誕生日を迎える。26歳。めでたい。無事に歳をとるというのは、何歳にせよとっても幸福なことだ。たぶん。

今年も直接、「お誕生日おめでとう。いつもありがとう。世界で一番大好きです」と、言いたい、絶対に言おう。と思って半年ほど前からずっとそわそわしていた。

降りたいおりたいおりたいおりたいと呪詛のように呟いていっそのことジャニオタになろうとして動画を見たりしていたくせに。なんで好きなのかわからないと数え切れないくらいに泣いたくせに。

 

もう潮時なのだろうか。

「いつの間にこんなにお金をかけるようになったの」と言われたとき、自分でもよくわからなかった。なんでだろう。そうやって考えて思ったことは、やっぱり好きになってすぐの、昔のことだ。

2年前の同じ日。あの頃は「なんでこんなに好きなのかわからない。でも好きだ」と、一も二もなく好きで好きで好きで、会えると思うだけで涙が出るほど嬉しくて、誕生日を直接祝えるというだけで胸が痛かった。幸福だった。幸福すぎると、涙が出てくるのだと知った。

でもあの頃は高校生で、バイトもしていなかったから現場には全然行けてなかった。少ないお小遣いを貯めに貯めて少ない現場を指折り数えて待った。それでも幸せだった。心のなかで、ばかすかお金を使う周りのおたくを愚かだと思いつつ、自分もそんなふうに先々を考えずに好きだというだけで真っ直ぐになれたらと思った。

 

「なんで好きなのかわからない。つらい」と思うようになったとき、もうそのとき潮時だったのだ。なのにわたしは、2年前の誕生日みたいに、もう一度彼に直接おめでとうが言えれば、また彼をどうしようもなく好きでいられると思ってる。戻れると思ってる。でもわかってる。あの頃憧れてたみたいにお金をいくら使っても、あの頃以上の幸せは得られない。何故って、もう魔法はとけてしまったのだと思う。何がなんでも好きだと思えるような魔法が。幻が幻だって、ハッキリと気づいてしまった時点で無理だったんだ。 でも、わたしはもっともっと幸せにしてもらえるはずで、あなたのおかげでわたしは………………。

魔法がとけたくせにしがみついている。気づきたくない。でも、誕生日に彼に会って、面と向かった瞬間、ああ、わかるだろう。

 

思考

 

 

なにも考えないということはできない。知りたいと思うし、考えないことは怖い。わたしは元来臆病者だから、知らないということが怖い。本物の幸福を知らないんじゃないかとも思う。救いを求めて夢想しても何も残らない。まったく何も知らない、なにも考えない誰かに夢を見させてもらって不安や何かを誤魔化してる。我に返ってはまた後悔と不安に苛まれて、逃げ出して幻に浸ることを繰り返す。そんなことをしてもうすぐ20年だ。もう20歳になってしまうのかと思うけど、まだまだ20年かとも思う。死は本物の逃げじゃない。死んでも逃げられないのかもしれないと、ミッションちゃんの大冒険?という漫画を読んで知った。最期まで生きるしかない。逃げ場はどこにもない。それができたもののみに死という救いが現れるんだ。でもそれがまた不安を助長するのである。どうしたらこの漠然としたもやもやは晴れるんだろう。どうしてみんなは笑えるの?それだけみんな志があって強いからだろうか。だとしたら、わたしはとんでもない臆病者で弱虫の屑だ。知っていたけれど。だからといって、逃げるのも許されない。でも屑がまともになるにはどうしたら良いのかもわからない。下手に罪悪感などがあるのがダメだ。こんなこと考えていても何も始まらない。罪も悪も庶民には関係ない。そこにあるのは現実だけだ。そして、それが地獄だ。地獄は手軽で、簡単で、みんな笑ってる。とりあえず朝起きて、夜眠って、みんなと一緒に働くしかない。それが地獄だ。

いいからお前ら神聖かまってちゃんを聴け

音楽

 

まずこれを読むのは

スクールカーストが最底辺だった

・オタク

・いじめられてた

・オタク

・メンヘラ

・オタク

だけでいい。当てはまらないやつはEXILEかワンオクロックか西野カナ聴けばいい。それか深夜のクラブに行け。

 

 

さて。

神聖かまってちゃんを知ってるか。

たけうちんぐダイアリー: 神聖かまってちゃん事件史

 

ファンじゃない人には徹底的に避けられて疎まれドン引かれてるバンドだろう。わたしもそのクチだった。演奏は決してうまくないし、ニコ生とかで半裸で叫んでるし。そんなわたしが聴くようになった理由は、2ちゃんでさんざん「の子(ギターボーカル)は天才」という言葉を見つけたから。人を叩くことを生き甲斐としているに2ちゃんねらが褒めている。そんで、わたしはゆうちゅうぶで神聖かまってちゃんを検索して、聴いて、泣いた。

 

 

友達なんていらない死ね PV 神聖かまってちゃん - YouTube

神聖かまってちゃん【死にたい季節】2014/3/26 恵比寿LIQUID ROOM - YouTube

神聖かまってちゃん - 23才の夏休み【English Subbed】 - YouTube

 

 

「友達なんていらない死ね」「死にたい季節」「23才の夏休み」曲名からしてなんかやばい雰囲気がする。かまってちゃんの初期曲は歪みきったギターに澄んだピアノの音、そしてボイスチェンジャーでさながら犯罪者のように声を変えたボーカルが特徴だ。これはわたしの勝手な考察だけど、自分の中でいちばんどろどろと圧縮された苦しい感情を歌にするとき、の子は自分の声で歌わない。この音がの子なんだ。歪みすぎて誰にも受け入れられそうにない部分と、それでも綺麗で澄み切った音が絡み合うことが。

そして、YouTubeにあがるPVの多くは自作。23才の夏休みに出てくる人物はもちろんボーカルのの子だ。このPVがなんともいえず良い。わかるやつにしか分からない鬱屈や破裂しそうな苦しみが音楽とともに伝わる。まあ、言葉にしても陳腐になるだけだけどね。

 

そして、詞。

えっまじ?! そんなセリフが言えたとき  

お友達ってやつがいるのかな  

 えっまじ?!まじ?!うっそでしょ?!

休み時間によくある景色

 

ねえそうだろう

諦めてると僕らは なぜか

少し 生きやすくなる

 

はあ……………。この詞ですべて説明されてしまっているから、これ以上言葉を重ねるのは野暮だ。

わたしが特にすごいと思うのは23才の夏休み。珍しくテンポがはやく、印象的で爽やかなピアノ。ギターも明るいコード進行なのに、少し低い声でだらだらと自嘲の笑みすら含む感じで「夏が来たなんて言ってもどこにも行かない 予定がないからね」と歌う。それに合わさるの子の引きこもるPV。夏って明るくて、楽しくて、とにかくプラスなイメージで捉えられやすいが、我らみたいな人間にとっては夏は憂鬱な季節だ。爽やかさを疎む陰鬱といつまでも進めない自分への諦めとそれでもまだ終わってないという希望がこの曲にはある。

 

そんな神聖かまってちゃんもメジャーデビューし、三十路に。精神疾患持ちで過激な言動が目立ったの子も落ち着いてきた。そしてそれが楽曲にも現れている。

 

https://m.youtube.com/watch?v=xxyA26gJ22E

 

https://m.youtube.com/watch?v=UFgwK5oqd1U

 

いやいやいやいやいや。「きっとよくなるさ」て。あんだけ死ね死ね言ってたヤツがよくなるさ、て。って思うだろう。いや思った。いやいや思ってる。だけど神聖かまってちゃんはやっぱ凄いんだ。まず「ズッ友」。いやこの曲やばいでしょ。イントロからしてもう1回聴いたら忘れない。かまってちゃんの良さにメロディのポップさというのがあるけど、それの真骨頂だと思う。そして詩的センス。

 

花火大会を通り越し 君んちに行ったんだ

ベランダ2人腰掛けて なぜか寂しくなる

ずっと一緒にいられる?

 

なんてことないのだ。花火の描写も何もなくただ「花火大会を通り越し」、「ベランダ2人腰掛けて」いることからふたりで花火を見ていることがわかる。でも、「花火大会を通り越し」なのだ。花火大会には直接向かわない。2人が禁断の恋に落ちることを「ズッこける」と表現するところにの子っぽさがあるね。

 

そして、「きっとよくなるさ」。これは単純にサラリーマン応援歌なのだが、今までが風刺的だったピアノの音が嫌味なくなっている。

うまくいかないこともあるさ人生

全部きっと良くなるさ

 

いやお前サラリーマンの気持ちなんてわかんのかいな!てツッコミは置いておいて、なんか、の子に良くなるさって言われると腹が立たないのはわたしだけなのかな。の子はしんどい思いを今までずーっとしてきて、それでも良くなるさって信じられるようになったのだ。わたしは神聖かまってちゃんの熱心なファンなわけじゃない(これだけ書いといて)し、の子のことはなんも知らないけど。音楽が多少売れたってこともあるし、それによって人格が肯定できるようになったこともあるかもしれない。でも、これは、わたしたちみたいな自分たちの狂気を屈折した形でしか現れない奴らの、希望だと思う。の子は自分で言え!って、言ったけど。

 

わたしはこれからも、絶望も希望も神聖かまってちゃんと共にしたいと、ただ思ってる。みんなも早く神聖かまってちゃん聴きなよ。

 

 

 

 

 

はじまりはいつも憂鬱

思考

 

 

時間は有限だ。

お金も、労力にも限りがある。取捨選択は大切だ。なにを選ぶかで人は決まる。

 

即断即決が自分だと思っていたけれど、このところものすごく優柔不断だ。選べない。わたしには大切にしているものがたくさんあって、そのたくさんにすべての力をそそいでしまいたいと思っている。100ができなかったらもう0と同じ。否、これは悪いクセ。すべて完璧にできることなんてない。なにかは諦めなきゃならない。お金と時間と労力で一番どうにかなりそうなのは労力だが、わたしに最もないのはそれだ。もとより、情緒の起伏が激しすぎて日常生活に支障をきたしてるくせにびびって病院にすら行けない奴が全部こなそうとするのが悪い。だって、なにかに縋っていないと、足元がおぼつかなくなって迷子のように途方に暮れてしまう。上手に生きるのは難しい。でも死ぬのはもっと難しい。

 

棄てたくなかったら、中途半端にでも続けるしかない。いやだなぁ。大切なものに対して中途半端なのは嫌だ。でもそれでも、やるしかないんだろう。まるっと諦めたくなっても、喰らいついていくしかないんだろう。死にたくなっても、生きるしかないんだろう。

 

 

 

 

とてもとても好きだった人の話

思考

 

 




今月のテストが終わったら春休みに入り、わたしは来年大学2年生になる。ようするに、大学生になって1年が経とうとしているのだ。その1年の間にあった苦くて笑えて、すでに思い出になってしまった話を、長々と自己満でしようと思う。


大学生になって、サークルで出会ったひとつ上の、でも年は2つ上の先輩を、好きになった。サークルに入るとき、絶対軽音サークルに入ろうと決めていた。わたしは邦楽ロックが好きだ。しかも、80年代・90年代のバンドが好きで、最近出てきた音楽はほとんど聴いたことがない。でも大学の軽音サークルなんてのはみんな今の音楽ばっかりやってる人たちがほとんどで、一通りサークルを見学したわたしは少しがっかりしていた。
中学生のときから、音楽は独りで聴くもので、共有するものじゃなかった。大学に入って、やっと誰かと共感しあえると思ったのに。
今どきの大学のサークルは公式でツイッターをやっていて、わたしはそれを非公開リストに入れてこっそりと盗み見ていた。その中のひとつに、BLANKY JET CITYの赤いタンバリンのライブ動画があがっていた。わたしは、即決でそのサークルに入ることを決めた。
結局、サークルには趣味の合う人はあまりいなかった。わたしが見た動画の人たちはすでに引退した4年生で、わたしは少しがっかりしたけれど、たった1人だけ、ぴったりと音楽の話が合う人がいた。Yさんだ。そして、Yさんはあのライブ動画でギターボーカルをやっている人だった。

Yさんは一浪の2年生で、パートはギターとボーカル。サークルのほとんどのメンバーが認めるほど彼のステージングはかっこよかった。初めてライブでYさんを見たとき、「この人だ!」と思った。彼から目が離せなかった。音楽性が似てるんだからかっこいいと思うのも当然だけど、それ以上に、彼はわたしの求めていた「ロックスター」然としていた。でもステージから降りた普段のYさんは、あの暴れっぷりが幻なのかと思うくらい穏やかで静かな人だった。そこがなおさらわたしを夢中にさせた。
Yさんとわたしはすぐに意気投合した。音楽について話せば話すほど、お互いのセンスに共感したし、わたしより遥かに豊富な知識があるYさんにわたしは脱帽した。Yさんのライブが好きだと、ことあるごとに言っていたから多分、Yさんもわたしを気に入ってくれていた。

 

初めてYさんに会ったとき、「ねえ」と後ろから肩に触れられて呼びかけられたのを憶えている。この頃、男性に慣れていなかったので、緊張して動きが不自然になってしまって、それが恥ずかしくてたまらなかった。そんなわたしを気にもとめず、緑色の髪をしたYさんはくわえタバコでわたしに話しかけた(Yさんの姿や自分の羞恥はありありと思い出せるのに、なぜ呼び止められたのかは覚えていない)。この時からわたしはすでにYさんのことを強烈に意識していた。だって、「この人を好きになってはいけない」と強く思ったから。

 

また、Yさんと他のサークルのメンバーでひとり暮らしの友達の家に押しかけて泊まったことがある。すでにその時わたしの頭の中はYさんでいっぱいで、喜びと怖さが入り混じってわたしは興奮していた(わたしは卑屈なので好きな人に近寄るのは多大な勇気を必要とする)。寝静まるみんなをよそに、初めて夜通しで語り合った。ギターをかき鳴らして、わたしにTHEE MICHELLE GUN ELEPHANT の世界の終わりを歌ってくれた。そしてそのあと、2人で朝方のコンビニに行った。お腹がすいてるから、と言ってカゴにどう考えても食べきれない量をぽいぽいと入れていくYさんを宥めると、Yさんはレジで「お金がない」とか言って笑ってクレジットカードを出した。わたしは払います、と言った。でもYさんはこれくらいいいよ、と笑った。クラクラした。惚けるくらい、Yさんは父に似ていた。そして、そんなYさんを、わたしはあきれるくらいに好きだった。

 
Yさんのことを話しだすと、今でも止まらなくなる。2人で話したことや、行った場所や、そのときのYさんの姿。書き出したら止まらないくらい、わたしはすべて鮮明に憶えている。

Yさんは自分のことを「ぼく」と言ったし、わたしのことをちゃん付けで呼んだり、「きみ」と呼んだりした。たまに、呼び捨てで呼ぶこともあった。柔らかく穏やかな調子で喋るくせに、ごう慢で断定的な話し方をする。「○○ちゃんは良い匂いがするよね」と言ってわたしの髪を撫でたり、一度、わたしとかわいい女の子が並んで座っていたときに、女の子と話していたくせにわたしに全く気づかなかったこともあった。Yさんは自分だけに見えている世界があって、その世界に忠実に生きている人に見えた。
もちろん、周りには「変わった人」と言われいたし、Yさんを苦手に思う人も一定数いた。見た目はブサイクではないけど特別カッコよくもないのに、一部の女の子は信者のように彼にまとわりついた。Yさんは、電波のような香りのような、なにか一部の人だけが惹き付けられるものを発していた。

そして、わたしの父は、そんなYさんにとてつもなく似ている。不思議なことに、わたしがそれに気づいたのはもう後戻りできないほどにYさんを好きになってしまったあとだった。
大学の友人に父の話をしたら、Yさんのことだと勘違いされるくらいには、父とYさんはなにか同じ匂いを漂わせていた。

わたしにとって、いつの間にかYさんは「お父さんの代わり」になっていた。
Yさんや父のような人は、あまりきちんと人を愛することがない。それはこういう種類の人間と知り合ってみないとわからないし、知っているとすれば猛烈に共感してもらえると思う。
母が「父に愛されている実感はない」と言うくらい、父は奔放な人で、もちろんわたしも父に「愛され」てはいないと思っている。父は「愛」というよりも「お気に入り」に近い感覚で人を好きになる。Yさんも同じだった。奔放で、自由で、ごう慢で、とても寂しがり屋。
Yさんは父と同じようにわたしにやさしくて、甘くて、そして父と同じように、わたしを特別にはしてくれなかった。

とてもとても苦しかった。わたしはYさんの特別になりたかった。父と同じような人を偶然好きになってしまったのか、父に似ている人に好いてもらいたかっただけなのか、わたしはよくわからなかった。どちらにせよ、父に似ている人に恋しても無駄だということだけはわかっていた。
Yさんを知っている友達はみんな、「しょうがない人を好きになった」と言った。ある人が、戦隊もののセリフに引っ掛けて「最初からクライマックスの恋だね」と言ってきたときは本当に面白かった。

この、恋か執着かわからない感情が最終的にはどうなったのかと言えば、終わってしまった。どうやって終えたのかといえば、Yさんを深く知ったら、消えてしまったのだ。
Yさんの特別になりたかったのに(この「特別」というのは、彼女でも友達でも、関係の名前はどうでもよかった)、Yさんはわたしを父と同じように「お気に入り」にしかしなかった。わたしは次第に苦しくなりすぎて、Yさんを避けるようになった。諸事情でサークルにも行かなくなり、音楽からも遠ざかりはじめた。すると、Yさんからよく連絡がくるようになり、ご飯に行ったり電話をするようになった。Yさんはわたしがサークルを辞めそうなことに、少し勘づいていた気がする。苦しかったくせに、やっぱり嬉しかった。

でも、Yさんを少しずつ知れば知るほど、Yさんは父と似てはいるものの、お父さんじゃなかった。当たり前だ。わたしのお父さんは、たった1人しかいないんだもの。Yさんは、実はお父さんじゃない。それが実感としてわかっていって、やっとわたしはYさんへの執着を手放した。


恋と執着は何が違うのでしょうか。

わたしはYさんのことを本当に好きだったのでしょうか。でも、とりあえず、わたしの大学1年はYさんで埋め尽くされていた。
以上、これが、わたしのとてもとても好きだった人の話。

 

―――――――――――――――――――――


今週のお題「恋バナ」

 

 

 

ズッこけています

思考

 

 

 

息が苦しい。

 

サークルに顔を出さなくなってから何ヶ月も経ちます。大学に入ってから、だんだんとフェードアウトするはずだったオタク業に金を出し時間をかけ、サークルの友人(友達とは思ってないけど)とはほとんど交流もなく。たまにツイッターで会話する程度。

 

なんのため、ということをよく考えます。

 

 

わたしは何のためにこのサークルに入ったんだろう。音楽は好きです。大好きだ。わたしの日々の中に音楽がないなんてことはありえない。じゃあ、サークルがない生活は?普通に、過ごせる。不自由なく。むしろ快適に。

大学生になったら、サークルに入るもんだと思っていた。いい歳になったし、オタクを卒業して、オタクじゃない友達を作って、彼氏も作って、「普通」の女子大生になろうとしていた。ならなきゃいけないと思っていた。というか、なるもんだと思っていた。

 

でも、わたしにはその「普通」が難しい。

サークルで作った交友関係で遊びに行ったり、ライブをやったりする度にもやもやして、これでいいのかって考えて…………。上手くいかなかったわけじゃない。オタクじゃない友達も一応はできたし、サークルにも馴染んでないわけじゃない。ただ、わたしの気持ちがついていかない。大学で、「普通」の女子大生のフリをするのに疲れて、大好きな俳優に救いを求めて…………。

「普通」ほど難しいものはないです。オタクじゃない友達といても、楽しいのは一瞬だけ。というか、パンピとつるんでるっていう達成感が消えたらあと残るのは違和感のみです。あまりに意見も価値観もすべてが違いすぎる……。夜通し遊ぶの、疲れる。無意味な噂話、疲れる。無意味な噂話をされるのも、疲れる。テンション高いだけのくだらない飲み会、楽しくない。ノリだけの恋愛、興味ない。

 

だからといって、オタクとしても、わたしは三流です。俳優のために身を粉にして働き、現場に通い、花を出し、手紙を書き、高額なプレを貢ぎ、他のオタクからの罵詈雑言に耐え…………そんな俳優オタクの優等生みたいなことは、わたしにはできない。他のオタクに叩かれたらすぐ凹むし、ちょっと舞台に通えば疲れてサボるし、面白くない舞台行きたくないし、そもそも、風やキャバやって金稼ぐほど俳優に自分の人生を捧げられない。執着してるはずの人ために生きることすらできない。

 

オタクとしてもパンピとしても三流、単位を落としまくって学生としても落第ギリギリ。

わたしはどうしてこんなにダメダメ人間なんでしょう。もっと頑張れよ。それはわかってる。わかってるけど、でも、じゃあ、なんのために今わたしは、毎朝、横たえた身体を起き上がらせるんでしょうか。このまま、ずーーーーーっと身体を横たえて、終わってしまいたいという欲求。みんなはなんのために頑張るの?なんのために、朝、起きようって思えるの?わたしが生きてられるのは俳優に執着心があるからで、それが消えたらわたしはなんにも頑張れないがらんどうな人間になるのです(生きることで精一杯だけど)。でも、俳優への執着心がある限り、わたしの精神はぐらぐらぼろぼろ、ずっと不安定なまま。

 

弱い人間が強くなるのに、辛い現実ばかりぶつけても無意味です。どんどん弱っていくばかり。じゃあ、弱い人間が強くなるには、否、通常レベルのまともさを手に入れるには、どうしたらいいんでしょう。