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日なたの窓に憧れて

メンヘラなおたくの雑記です。

とてもとても好きだった人の話

 

 




今月のテストが終わったら春休みに入り、わたしは来年大学2年生になる。ようするに、大学生になって1年が経とうとしているのだ。その1年の間にあった苦くて笑えて、すでに思い出になってしまった話を、長々と自己満でしようと思う。


大学生になって、サークルで出会ったひとつ上の、でも年は2つ上の先輩を、好きになった。サークルに入るとき、絶対軽音サークルに入ろうと決めていた。わたしは邦楽ロックが好きだ。しかも、80年代・90年代のバンドが好きで、最近出てきた音楽はほとんど聴いたことがない。でも大学の軽音サークルなんてのはみんな今の音楽ばっかりやってる人たちがほとんどで、一通りサークルを見学したわたしは少しがっかりしていた。
中学生のときから、音楽は独りで聴くもので、共有するものじゃなかった。大学に入って、やっと誰かと共感しあえると思ったのに。
今どきの大学のサークルは公式でツイッターをやっていて、わたしはそれを非公開リストに入れてこっそりと盗み見ていた。その中のひとつに、BLANKY JET CITYの赤いタンバリンのライブ動画があがっていた。わたしは、即決でそのサークルに入ることを決めた。
結局、サークルには趣味の合う人はあまりいなかった。わたしが見た動画の人たちはすでに引退した4年生で、わたしは少しがっかりしたけれど、たった1人だけ、ぴったりと音楽の話が合う人がいた。Yさんだ。そして、Yさんはあのライブ動画でギターボーカルをやっている人だった。

Yさんは一浪の2年生で、パートはギターとボーカル。サークルのほとんどのメンバーが認めるほど彼のステージングはかっこよかった。初めてライブでYさんを見たとき、「この人だ!」と思った。彼から目が離せなかった。音楽性が似てるんだからかっこいいと思うのも当然だけど、それ以上に、彼はわたしの求めていた「ロックスター」然としていた。でもステージから降りた普段のYさんは、あの暴れっぷりが幻なのかと思うくらい穏やかで静かな人だった。そこがなおさらわたしを夢中にさせた。
Yさんとわたしはすぐに意気投合した。音楽について話せば話すほど、お互いのセンスに共感したし、わたしより遥かに豊富な知識があるYさんにわたしは脱帽した。Yさんのライブが好きだと、ことあるごとに言っていたから多分、Yさんもわたしを気に入ってくれていた。

 

初めてYさんに会ったとき、「ねえ」と後ろから肩に触れられて呼びかけられたのを憶えている。この頃、男性に慣れていなかったので、緊張して動きが不自然になってしまって、それが恥ずかしくてたまらなかった。そんなわたしを気にもとめず、緑色の髪をしたYさんはくわえタバコでわたしに話しかけた(Yさんの姿や自分の羞恥はありありと思い出せるのに、なぜ呼び止められたのかは覚えていない)。この時からわたしはすでにYさんのことを強烈に意識していた。だって、「この人を好きになってはいけない」と強く思ったから。

 

また、Yさんと他のサークルのメンバーでひとり暮らしの友達の家に押しかけて泊まったことがある。すでにその時わたしの頭の中はYさんでいっぱいで、喜びと怖さが入り混じってわたしは興奮していた(わたしは卑屈なので好きな人に近寄るのは多大な勇気を必要とする)。寝静まるみんなをよそに、初めて夜通しで語り合った。ギターをかき鳴らして、わたしにTHEE MICHELLE GUN ELEPHANT の世界の終わりを歌ってくれた。そしてそのあと、2人で朝方のコンビニに行った。お腹がすいてるから、と言ってカゴにどう考えても食べきれない量をぽいぽいと入れていくYさんを宥めると、Yさんはレジで「お金がない」とか言って笑ってクレジットカードを出した。わたしは払います、と言った。でもYさんはこれくらいいいよ、と笑った。クラクラした。惚けるくらい、Yさんは父に似ていた。そして、そんなYさんを、わたしはあきれるくらいに好きだった。

 
Yさんのことを話しだすと、今でも止まらなくなる。2人で話したことや、行った場所や、そのときのYさんの姿。書き出したら止まらないくらい、わたしはすべて鮮明に憶えている。

Yさんは自分のことを「ぼく」と言ったし、わたしのことをちゃん付けで呼んだり、「きみ」と呼んだりした。たまに、呼び捨てで呼ぶこともあった。柔らかく穏やかな調子で喋るくせに、ごう慢で断定的な話し方をする。「○○ちゃんは良い匂いがするよね」と言ってわたしの髪を撫でたり、一度、わたしとかわいい女の子が並んで座っていたときに、女の子と話していたくせにわたしに全く気づかなかったこともあった。Yさんは自分だけに見えている世界があって、その世界に忠実に生きている人に見えた。
もちろん、周りには「変わった人」と言われいたし、Yさんを苦手に思う人も一定数いた。見た目はブサイクではないけど特別カッコよくもないのに、一部の女の子は信者のように彼にまとわりついた。Yさんは、電波のような香りのような、なにか一部の人だけが惹き付けられるものを発していた。

そして、わたしの父は、そんなYさんにとてつもなく似ている。不思議なことに、わたしがそれに気づいたのはもう後戻りできないほどにYさんを好きになってしまったあとだった。
大学の友人に父の話をしたら、Yさんのことだと勘違いされるくらいには、父とYさんはなにか同じ匂いを漂わせていた。

わたしにとって、いつの間にかYさんは「お父さんの代わり」になっていた。
Yさんや父のような人は、あまりきちんと人を愛することがない。それはこういう種類の人間と知り合ってみないとわからないし、知っているとすれば猛烈に共感してもらえると思う。
母が「父に愛されている実感はない」と言うくらい、父は奔放な人で、もちろんわたしも父に「愛され」てはいないと思っている。父は「愛」というよりも「お気に入り」に近い感覚で人を好きになる。Yさんも同じだった。奔放で、自由で、ごう慢で、とても寂しがり屋。
Yさんは父と同じようにわたしにやさしくて、甘くて、そして父と同じように、わたしを特別にはしてくれなかった。

とてもとても苦しかった。わたしはYさんの特別になりたかった。父と同じような人を偶然好きになってしまったのか、父に似ている人に好いてもらいたかっただけなのか、わたしはよくわからなかった。どちらにせよ、父に似ている人に恋しても無駄だということだけはわかっていた。
Yさんを知っている友達はみんな、「しょうがない人を好きになった」と言った。ある人が、戦隊もののセリフに引っ掛けて「最初からクライマックスの恋だね」と言ってきたときは本当に面白かった。

この、恋か執着かわからない感情が最終的にはどうなったのかと言えば、終わってしまった。どうやって終えたのかといえば、Yさんを深く知ったら、消えてしまったのだ。
Yさんの特別になりたかったのに(この「特別」というのは、彼女でも友達でも、関係の名前はどうでもよかった)、Yさんはわたしを父と同じように「お気に入り」にしかしなかった。わたしは次第に苦しくなりすぎて、Yさんを避けるようになった。諸事情でサークルにも行かなくなり、音楽からも遠ざかりはじめた。すると、Yさんからよく連絡がくるようになり、ご飯に行ったり電話をするようになった。Yさんはわたしがサークルを辞めそうなことに、少し勘づいていた気がする。苦しかったくせに、やっぱり嬉しかった。

でも、Yさんを少しずつ知れば知るほど、Yさんは父と似てはいるものの、お父さんじゃなかった。当たり前だ。わたしのお父さんは、たった1人しかいないんだもの。Yさんは、実はお父さんじゃない。それが実感としてわかっていって、やっとわたしはYさんへの執着を手放した。


恋と執着は何が違うのでしょうか。

わたしはYさんのことを本当に好きだったのでしょうか。でも、とりあえず、わたしの大学1年はYさんで埋め尽くされていた。
以上、これが、わたしのとてもとても好きだった人の話。

 

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今週のお題「恋バナ」

 

 

 

ズッこけています

 

 

 

息が苦しい。

 

サークルに顔を出さなくなってから何ヶ月も経ちます。大学に入ってから、だんだんとフェードアウトするはずだったオタク業に金を出し時間をかけ、サークルの友人(友達とは思ってないけど)とはほとんど交流もなく。たまにツイッターで会話する程度。

 

なんのため、ということをよく考えます。

 

 

わたしは何のためにこのサークルに入ったんだろう。音楽は好きです。大好きだ。わたしの日々の中に音楽がないなんてことはありえない。じゃあ、サークルがない生活は?普通に、過ごせる。不自由なく。むしろ快適に。

大学生になったら、サークルに入るもんだと思っていた。いい歳になったし、オタクを卒業して、オタクじゃない友達を作って、彼氏も作って、「普通」の女子大生になろうとしていた。ならなきゃいけないと思っていた。というか、なるもんだと思っていた。

 

でも、わたしにはその「普通」が難しい。

サークルで作った交友関係で遊びに行ったり、ライブをやったりする度にもやもやして、これでいいのかって考えて…………。上手くいかなかったわけじゃない。オタクじゃない友達も一応はできたし、サークルにも馴染んでないわけじゃない。ただ、わたしの気持ちがついていかない。大学で、「普通」の女子大生のフリをするのに疲れて、大好きな俳優に救いを求めて…………。

「普通」ほど難しいものはないです。オタクじゃない友達といても、楽しいのは一瞬だけ。というか、パンピとつるんでるっていう達成感が消えたらあと残るのは違和感のみです。あまりに意見も価値観もすべてが違いすぎる……。夜通し遊ぶの、疲れる。無意味な噂話、疲れる。無意味な噂話をされるのも、疲れる。テンション高いだけのくだらない飲み会、楽しくない。ノリだけの恋愛、興味ない。

 

だからといって、オタクとしても、わたしは三流です。俳優のために身を粉にして働き、現場に通い、花を出し、手紙を書き、高額なプレを貢ぎ、他のオタクからの罵詈雑言に耐え…………そんな俳優オタクの優等生みたいなことは、わたしにはできない。他のオタクに叩かれたらすぐ凹むし、ちょっと舞台に通えば疲れてサボるし、面白くない舞台行きたくないし、そもそも、風やキャバやって金稼ぐほど俳優に自分の人生を捧げられない。執着してるはずの人ために生きることすらできない。

 

オタクとしてもパンピとしても三流、単位を落としまくって学生としても落第ギリギリ。

わたしはどうしてこんなにダメダメ人間なんでしょう。もっと頑張れよ。それはわかってる。わかってるけど、でも、じゃあ、なんのために今わたしは、毎朝、横たえた身体を起き上がらせるんでしょうか。このまま、ずーーーーーっと身体を横たえて、終わってしまいたいという欲求。みんなはなんのために頑張るの?なんのために、朝、起きようって思えるの?わたしが生きてられるのは俳優に執着心があるからで、それが消えたらわたしはなんにも頑張れないがらんどうな人間になるのです(生きることで精一杯だけど)。でも、俳優への執着心がある限り、わたしの精神はぐらぐらぼろぼろ、ずっと不安定なまま。

 

弱い人間が強くなるのに、辛い現実ばかりぶつけても無意味です。どんどん弱っていくばかり。じゃあ、弱い人間が強くなるには、否、通常レベルのまともさを手に入れるには、どうしたらいいんでしょう。

 

 

わたしの洋楽プレイリスト

 

 色んな方のはてなブログのエントリーを読んでて、自分も一度プレイリスト書いてみたいな〜〜と思っていたのです。とりあえず邦楽だと膨大すぎるので、あまり聴かない洋楽で。と思ったら、あまりに聴かなすぎて書けるほど思い入れのある曲が7曲しか思い当たらなかった。だから今回は7曲だけ勝手に書いていこうと思います。(洋楽はまじで詳しくないので有名な最高の曲をおさらいする感じで) 

 

 

 

①Hotel California / Eagles

Hotel California

Hotel California

 

言わずもがなですね。名曲はイントロからして脳みそにしみる・・・・・。歌詞がアメリカらしくないなぁと思うんですがどうでしょう。偏見だけど洋楽って詞を見てガッカリすることのほうが多いんだよなあ。こういう謎が深まるような自由に解釈ができる詞が好きです。特に「Her mind is Tiffany-twisted, She got the Mercedes Bends」というところ、とってもアメリカ人らしい比喩だと思う。すごく綺麗ですき。

ハスキーな歌声にハモリがきれ〜〜だし、フォークギターとエレキギターの絡み合いも言葉にできない哀愁がある。アウトロのギターソロがかっこよすぎるからいつまででも聴いてられるよね。ドライブしてるときは絶対かけたい。

 

 

②Wouldn't It Be / The Beach Boys

 

この曲は「陽だまりの彼女」という小説に出てきて、それが映画になったことによりたちまち若者にも有名になりましたね。ビーチボーイズの中で一番好き。明るい曲はあんまり聴かないんだけど、ここまで底抜けて明るいと逆に癒される。「The happy times together We've been spending I wish that every kiss was never-ending 」てところとか、単純で子どもみたいな願いだけど、それが一番難しいんだってことが、大きくなるにつれてわかる。こういう気持ちを忘れたくないし、もし本当に、叶うのだとしたら奇跡みたいに幸福だろうね。だから、歳をとるごとに好きになっていく曲。

 

 

 

③Lost Star / Keira knightley

Lost Stars

Lost Stars

 

 これはキーラ主演の「BIGIN AGAIN」という映画で使われた曲。これ、映画館で観たんだけど、ストーリー自体はありがちかな〜という感じだった。でも、始終音楽が鳴ってて、キーラたちが歌う曲以外にも昔からの名曲が!それが上手く映像とマッチしてるのが気持ちよかった。ぜひ映画館の音響で聴いてほしかった(?)見てる間中ずっと踊りたくてうずうずしたもん。

この曲はマルーン5の曲で、キーラの相手役で出演してたアダム・レヴィーンも歌ってるんだけど、個人的にはキーラの声で聴きたい。

キーラ演じるグレタが、TシャツにGパンで雑に髪結んで、ニューヨークの片隅でふてくされた顔しながらフォークギターをかき鳴らしてる姿が思い浮かぶ。そんで、それが渋谷のセンター街の汚ったない路上で立ちすくんでどうしたらいいかわかんない自分と、全然違うのに、重なってしまうから。

 

 

 

④Honesty / Billy Joel

Honesty

Honesty

 

これもみんなが聴きあきたんじゃないかと思うくらいの名曲ですね。アメリカより日本で売れたという。ビリージョエルは両親の影響でよく車とかで聴いてました。あと、英語の発音がとてもハッキリしてて聞き取りやすいから、受験のとき、やる気がでない日とかは参考書を顔に乗っけて寝っ転がってよく聴いてた。

ビリーの声は厚みと深みがあって、でも高ぶったときに丁寧な発声じゃなくなるとこが好き(笑)彼のことは詳しいわけじゃないけど、彼の本物の願いはこれなんじゃないかって気がしてしまう。「Honesty is such a lonely word」ほんとだね。

 

 

 

⑤ Superstar / Carpenters

スーパースター

スーパースター

 

これも両親の影響で好きになった曲。オリジナルは別でデラニー&ボニー。知らなかった。オリジナルも良い。

カレンの低音はとっても切ないし、リチャードのファルセットは柔らかくて泣きたくなる。詞はロックスターの古参が人気が出てしまってファンサが貰えなくて悲しむ歌という感じ(現代のオタク)。オリジナルで聴くと、なんか若干勘違いオタクの可笑しみみたいなのを感じちゃうんだけど、カーペンターズのほうは本気で悲しんでる女の子の心そのものという印象。

父から教わった曲だから、父へのいろんな気持ちがぐちゃぐちゃ混ざりこんでる曲。

 

 

⑥ 黒い瞳 / Paul Mauriat

 

これはロシア民謡の「黒い瞳」をポール・モリアという編曲家の方が編曲したもの(洋楽というより、クラシック)。昔、ポールの音源が日本で流行ったみたいですね。話をしたら父が知ってて、レコードも持ってたらしい。わたしがなぜ知ってるかというと、クラシックギターのコンクールで弾いている方がいて、調べたらポールの編曲したものが出てきたから。わたしはクラシックギターのアンサンブルをやってたので、実はクラシックも割と好きです。「黒い瞳」はタンゴ調だったりとにかく色んな形で演奏されているんですが、ポールのがダントツで良い。タンゴ調になるくらいだからとても情熱的な曲だけど、でも上品でどこか哀愁があるような。ロシアの冷たくて刺すような空気ってこんな感じなんじゃないかと思う。

 

 

⑦I like it / DeBarge

I Like It

I Like It

  • デバージ
  • R&B/ソウル
  • ¥250

 

最後はわたしの大っ好きなこの曲!

どこで知ったのかはあいにく忘れちゃったんだけど、わたしがソウルに興味を持つようになったきっかけの曲。踊りたくなる。ブラックミュージックこそ一番言葉にするのが無粋だと思う。ベース初めてずっとロックばっかりやってきたけど、本当はこういうのが弾いてみたい。

 

 

 

洋楽をほとんど聴かない理由は、詞が分からないから(笑)わたしが日本語を好きになったのは音楽のおかげで、曲の詞が美しいと思ったからです。だから、繊細な意味の差異と音のマッチングが理解できないのが……………。

でも、音楽について言葉にするとわたしの語彙がなくてどこまでもメタ化してしまう。だめですね。

今年はちゃんと、音楽と向きあいたい。おすすめの洋楽教えてください誰か〜〜〜。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2016年 ☞ 2017年

 

 

あけましてめでとうございます。

年も開けたということで、2016年の振り返りと2017年の目標のお話をします。

 

 

 

2016年の目標

 

・体力をつける   ✖

……………つかなかった。大学の前期(4月〜8月頃)はバイトとサークルと授業でパンパンのスケジュールをこなしてたから結構がんばれたんだけど、それに疲れきって、後期は精神的にもぼろぼろで鬱状態が続き学校に行けなかった。

 

・とにかく稼ぐ  〇

今年はわりと稼げた!!! 夏休みとか連勤に連勤を重ねてめちゃくちゃ稼いだ。後期は疲れきってあんまりシフト入れなかったけど………。もちろん稼いだ金はオタクと学費と生活費できれいさっぱり消え去りました。

 

・休まず大学行く  ✖

前期はギリギリセーフな感じで通えたのに、後期は精神状態があまりに落ちてて学校に行けない日が多かった。朝は決まった時間より2.3時間遅く起きて、「また起きられなかった……」と思いながら天井を見つめたり、目の焦点すら合わせるのがだるくなり目を閉じてじっと寝たりしていた。今年は精神を上げていきたい………。

 

・家事手伝う  ✖

授業とサークルとバイトでいっぱいいっぱいになり、精神状態もゴミで家のことを手伝うどころじゃなかった。はあ。


・新聞読む ✖

上に同じ。はあ。

 

 

2016年はいろいろ悩んだ年でした。

受験もたくさん悩んで苦しんで、結果として今の大学にいるし、入ってからも人間関係だのオタク活動だの音楽に関しても、悩みに悩んで落ちて落ちて鬱状態で苦しみ抜いた。月ごとのメモをとってるんだけど、「疲れた」「つらい」「」「しんどい」が並んでて思わず笑った。はあ。色々考え込んで、答えはまだ出てない。今年も答えが出るとは思えないけど。

現実に好きな人ができたり、パンピ活動を体験したり、オタク活動に転機が訪れたり、色々あった。どれも結局つらかった。でも、たぶん楽しいこともあった気がする。これがきっと、いつかは良い思い出になるのかもしれません。

 

 

 

2017年の目標

 

・精神を安定させる

・フル単

・とにかく稼ぐ

・よく本を読む

・痩せて肌を綺麗にする

 

精神を安定させるには、どうしたらいいのだろうか…………………。学校もバイトもオタクもすべての生活水準が精神に起因してくる………。病院に通うか検討中。正直、フル単とか稼ぐとかは精神衛生が良ければ達成できる気がするんだけど………。それが難しいっちゅう。本を読むのはまぁ、語彙を増やして日本語を豊かにしたいなというのは前々から思っていたことでして。日本語をうまく使っていきたい、言葉で伝えるっていうのが自分のアイデンティティであるから。そして、痩せて肌を綺麗にするっていうのは、ぶすが人権を獲得するうえで大事なことである!!!!オタクするのに少しはまともに女でいたいよね(まともな奴はオタクにはならない)。とにかく、2017年は、なるべく前向きに楽しく生きていきたい。えっ?!?!! 生きたいだって?! いや死にたいけど。とりあえず生きるうえでの目標。 ○○したい、という感情は、いつもわたしの中では、死にたいという感情の後ろにくっついてくる。生きるとしたら、という仮定のもと。死にてえけど。あ〜〜〜死にてえけどさ。たぶん、2017年も死にたい死にたいと思いながら消費的に生きていくかもしれない。でも、生きていかなきゃいけない。産まれてしまったから。この世に生れ落ちてしまったから。どんなに無駄なように思えても、くだらなくても、汚くても。はあ。生きよう。生きる理由を探しながら、泣きじゃくりながら、死にたいと絶望しながらでも。

やっぱり、2017年の目標は「生きる」です!!!!!!!!! とりあえず生きよう。

本年も、どうぞよろしくお願いいたします。

 

 

 

 

 

 

すべての終わりに愛があるなら

 

 

新世紀エヴァンゲリオンを観ました。

 

 

元々宇多田ヒカルが好きなので 多少映像は見たことあったしあんだけ有名なら興味もあったのだけれども、創作に感情移入しすぎマンとしては恐ろしすぎて観る気がおきなかった。

でもまぁ友だちに勧められて大方の内容をネタバレしてもらい、十分心の準備をして 見ることにしました。1話見終わる事に「しんどい…やめたい……」って友だちに泣きながらラインして乗り越えた。

あ、ちなみに観たのはテレビアニメ版で、旧劇と新劇は未視聴。 旧劇つらいって聞いて勇気が出なくて観られてない。

 

結論から言うと これって庵野監督の『オタク!!! 人と関わるのを諦めんじゃねえ!!! 2次元に逃げてんじゃねえ!!!!』っていう壮大すぎるメッセージなのでは?ってなった。

 

ていうか機能不全家族で育った系オタクなので 友だちに「おまえはシンジくんじゃないんだぞ!!!!! 」って言葉の往復ビンタ食らわせられるくらいには感情移入しすぎた。 1話から泣いてた。日本1億総シンジ。オタクの半分は家庭に問題がある説は濃厚である。

 

わたしはアダルトチルドレンであるとともにメンヘラでもあるのでリツコさんとかミサトさんも死ぬほど 「 わかる〜〜〜!!! 無理泣く」ってなった。 

 

特にしんどかったのはリツコさんで、最後の最後でレイさんの代わりに碇司令に放り出されてゼーレに召喚され辱めを受けるところ。あそこで「あの人のためだったらどんな凌辱でも耐えられたわ。でもあの人は……」的な台詞(あやふや)でああああああ!!!!!!! ってなりました。基本的に叶わない恋愛しかしてないメンヘラオタクなので。こっちが相手を思い浮かべて必死に命削って頑張ったところで相手にとったらどうでもいいことに違いなくて、わたしがあの人の声のあたたかさを必死に浮かべているこの瞬間、あの人はまったく別の女とヘラヘラしてる。わたしのことなんて思い出しもしないでしょうね(完全に私怨)。あと、MAGIが使徒に侵略される回でMAGIの中にリツコさんが入って使徒から守るとき、リツコさんのお母さんのナオコさんの書いた張り紙に「碇のバーカ!」って書いてあったんですよ。それ見て号泣しました。憎くて仕方なくなるほどずるいあの人のことが、どうしようもなく好きだってのがその張り紙から伝わってきて、それを見たリツコさんが「あの人らしいわね」って漏らすのも胸にクるもんがある…………。

ちなみに、全部あやふやなのは勢いで観ないと心が死ぬので観返せてないからです。

 

 

あと、爆笑だったのはミサトさんと加持さんの関係。まだ2人のことやミサトさんの過去が明かされる前まで観たとき、エヴァを勧めてくれた友人にミサトさんはなんであんな女ったらしの加持さんと付き合うわけ?!!?!!!!」ってキレたら「お父さんと似てるからだよ」って言われてブーメラン巨大すぎて死ぬほど爆笑した。わたしも父親に似た人ばかり好きになります。 父親に愛されてない、と思って育った娘は父親に似た人を好きになるそうな(でも父親に似てるんだから案の定クズで愛されず大体上手くいかない)。機能不全家族あるあるかよ。でも、ミサトさんにそこまで感情移入できないのは結局加持さんもミサトさんのお父さんも結局ミサトさんを愛してるからだと思う。共感するにはミサトさんも加持さんもミサトさんのお父さんも良い人すぎるんだよね。

 

 

まぁ、なんと言っても共感しすぎて死にそうになったのはシンジくんでした。シンジくんのシーンは毎回泣いていたので特別どこ、とか始めると止まらない。

シンジくんに似ていない人から見れば、優柔不断で悩んでばかりいて、しかも突飛な行動をする面倒くさい主人公に見えるかもしれないけど、実際、こういう人間は、いる。周りの人間の言葉をいちいち頭の中で何回も何回も反芻して、悩んで、頭の中のもうひとりの自分のに翻弄されて………。みんな、誰かに認められたいし、愛されたいし、傷つけられたくないし、誰も傷つけたくない。シンジくんはお父さんに必要とされたいから、エヴァに乗るけど、わたしも家族に愛されたくてちゃんと大学に通っている。

今、流行りの「逃げるは恥だが役に立つ」にエヴァンゲリオンのパロディが出てくるが、全く違うラブコメ作品だけれど、このテーマに関してはおんなじなのかもしれない。だからエヴァを使ったのかと言われたら違うのかもしれないけど……。

 

傷つくのが怖くて、誤解されるのを恐れて、コミュニケーションを取らないのはダメなことなんだなあ。と、思いました。シンジくんは、最初、逃げまくるじゃないですか。父親からも、ミサトさんからも、クラスメートからも、レイさんやアスカからも。でも、最終的には無理矢理とはいえミサトさんという家族みたいな人ができたし。「おかえり」「ただいま」と言い合える人。安らぎの人。そして、シンジくんは人類補完計画でなくて「個」のある世界を選びます。おめでとう!拍手喝采。「個」があると面倒くさいですよね。望みも、意識も、全部ばらばらになって。でも、じゃないと繋がったときの喜びも、想い合う苦しみも生まれない。

オタクも、現実から2次元に逃げてコミュニケーションを絶って自分の思い通りの人間(キャラクター)とだけ会話していたらだめだぞー!ってことなんだろうなあ。

 

わたしも、シンジくんみたく、人類補完計画じゃなくて "自分""自分以外の誰か" を選べるだろうか。エヴァを観ると、逃げちゃダメだって思います。

 

 

 

 

 

無題

 

 

渋谷のセンター街とか、ひとり暮らしの友達の家とかで、夜通し笑って、明日になれば忘れてしまうような話をする。アルコールは脳をとかして、思考回路がぐんにゃりまがって、トリップして幻想。センター街はすえたような、ゴミの匂いとタバコとくだらない誘い文句。

 

嘘が嫌いなひとは、生きづらいだろうな。その点、わたしはいい。うそは好きだ。綺麗だから。真実は救いじゃない、いつもわたしを悩ますばかりで。でも、諦めは単純だ。「しょうがないな」は魔法のことば。

 

朝方、昼すぎ、時間はまちまちだけど山手線に乗ってとろとろとうちへ帰る。夜中起きていたり少しうつらうつらしたり、でもいつでも電車はねむい。覚めているのか眠っているのかよくわからない。かたんかたん揺れている。その日限りの絆が切れる。スニーカーの汚れが目に入って、イヤホンからは I like it が流れている。このままどこか、遠い、わたしだけの天国に連れていってくれたらいいのに。あの人のことばが頭をくるくる回っている。「きみは、乾いてるね」そう、そうだね。でも、あなたはなんにもしてくれないじゃない。「あなたが笑ってくれるだけで、いい」なんて、もう一生言ってやらない。ハッと目が覚めた。隣の人のかぎなれたコロン。量産品なんてそんなものだ。あのひとだけの香りじゃないんだもの。

 

まったく、感情的でうんざりする。日々は単純に過ぎていく。日がおりて、のぼって、お金を稼いで消費して、それだけ。尽きるまでの時間稼ぎで問題ない。セピア色でも構わない。でも、こんな自分がすきだから、このままで生きてきたんだろう。あのひとの声がする。あなたがいなくたってまともに生きていける。むしろ、あなたがいないほうが。忘れさせてくれないのは、わたし。

 

 

 

 

 

夏の昼下がりに

 

 

最近、希死念慮がどんどん強くなっていくので、やっとこさ「 A&Cーアダルトチルドレンー  」のDVDを観た。

 

「 A&Cーアダルトチルドレンー 」は 去年の8月に 中野の小さな劇場でおこなわれた舞台だ。脚本・演出は保木本真也さん。

受験期だったわたしは、学校で毎日受けている補習を抜け出して、この舞台を観にいった。もう、一年も前になる。真夏の炎天下の匂いも、汗の感触も、中野ザポケットの椅子の硬さも、ギターの音の震えも、主演の彼の背中の丸みも、涙が出すぎて顔があげられなかったことも、全部よく憶えている。

 

 

アダルトチルドレン」は

子供の頃の家族関係などが原因で、精神的に不安定な状況で育ち、成人後も生き方に悩んでいる人

という意味の造語であり、特に精神病の病名ではないので、定義はあいまい。劇中の台詞によると、日本人の約9割がアダルトチルドレンの兆候があるそうだ(劇中の台詞なので事実関係は知らない)。

 

そして、この舞台は「アダルトチルドレン」を題材にした喜劇である。

 

 

主人公は両親が弟ばかりかわいがり、愛されずに育ったあたる。ある日、あたるは母と2人きりになるために、弟・ちはるを「満潮になると海に沈んでしまう洞窟」に置き去りにする。そして、弟・ちはる、ちはるを探しに行って溺れた父が相次いで死んでしまう。 ちはるが死んだあとも母はあたるを愛することなく、ちはるの幻惑を見るようになり、最後には「まぁ、いいか」という言葉を残して自殺してしまう。

家族をすべて失ったあたるは「自分は家族を殺した。他にも人を殺しかねないから、隔離してくれ」と頼み、精神病棟に隔離入院して15年になる。

そして、舞台は そのあたるが書いた自伝本(実際にはあたる自身に起こったことでないフィクションを交えた物語)を中心に進んでいく。

 

ここまで書いてしんどすぎてなにが喜劇なんだかよくわからなくなってしまったが、劇自体はテンポよく進むギャグ満載のつくりになっている。なにより、はじめはあたるが書いた自伝本の中の暖治(あたる) が主人公という感じで進んでいくので、途中までは爆笑もの。この平凡でしあわせな光景がこの演劇の本筋だと騙される。

しかし、何度もどんでん返しで驚かせつつ最後に現実ではあたるが家族を全員失って精神病棟に隔離されて15年経つ人物だと知ったときの絶望……。はかりしれない。

 

この舞台、親に愛されないあたる と 親に愛されすぎるちはる のダブル主人公となっていて、 この舞台を見て初めて「あれ、自分ってアダルトチルドレンなんじゃ……?」ってなった人いると思う(わたしです)。

わたしは完全にあたるタイプで、とにかくあたるが親に怒鳴られたり冷たくされたりするシーンやあたるが必死に親の気をひこうとする描写が自分と重なりすぎて、初観劇のときは過呼吸になるかと思うくらい涙がでた(しかもちっちゃい劇場でめちゃくちゃ前列に座ってたのでカーテンコールで顔があげられなかった)。

しかし周りに聞いてみるとちはるタイプの人はちはるを自分に重ねて泣いていたという。ちはるの「自分はできない。でもできなくちゃいけない」という重圧を感じるシーンが辛かったそうな。

 

あたるの生に救いはあるのか?舞台の収束は、あたるが「いま、君は幸せ?」と尋ねられ、「うん、幸せ」とこたえるところにある。

あたるの小さな嘘のせいで、弟も、父も死に、母が狂って死んでいったことは、もう変えられない。自伝本でいくら空想のあたるが "平凡"な生活をしていても、それは現実じゃない。

本当に?劇中で紹介されたシェイクスピアの言葉。

「人生は舞台。人はみな役者」

あたるが言うように、どれが本当で、何が嘘で物語でフィクションで現実なのか、わかんない。

 

物語は人を慰む。あたるは、本当に些細なことでしあわせになれると言う。見つけて!いますぐ。

 

 

だから、わたしは、死にたくなると、この舞台を観る。

風景のひとつひとつに、肌に感じる風に、においに、1日3度の食事に、生きることに、しあわせを感じること。それって要するに、もう映画やドラマや本や舞台、なんにでも使い古されたベタなテーマには違いない。

でも、ぜんぶを失ったあたるが ピーターパンのように、しあわせって、にこにこ笑うところを見るとなんだか、生きなきゃいけない気がするから。生きよう、やっぱり。命が息づく夏という季節に。