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日なたの窓に憧れて

メンヘラなおたくの雑記です。

夏の昼下がりに

舞台 思考

 

 

最近、希死念慮がどんどん強くなっていくので、やっとこさ「 A&Cーアダルトチルドレンー  」のDVDを観た。

 

「 A&Cーアダルトチルドレンー 」は 去年の8月に 中野の小さな劇場でおこなわれた舞台だ。脚本・演出は保木本真也さん。

受験期だったわたしは、学校で毎日受けている補習を抜け出して、この舞台を観にいった。もう、一年も前になる。真夏の炎天下の匂いも、汗の感触も、中野ザポケットの椅子の硬さも、ギターの音の震えも、主演の彼の背中の丸みも、涙が出すぎて顔があげられなかったことも、全部よく憶えている。

 

 

アダルトチルドレン」は

子供の頃の家族関係などが原因で、精神的に不安定な状況で育ち、成人後も生き方に悩んでいる人

という意味の造語であり、特に精神病の病名ではないので、定義はあいまい。劇中の台詞によると、日本人の約9割がアダルトチルドレンの兆候があるそうだ(劇中の台詞なので事実関係は知らない)。

 

そして、この舞台は「アダルトチルドレン」を題材にした喜劇である。

 

 

主人公は両親が弟ばかりかわいがり、愛されずに育ったあたる。ある日、あたるは母と2人きりになるために、弟・ちはるを「満潮になると海に沈んでしまう洞窟」に置き去りにする。そして、弟・ちはる、ちはるを探しに行って溺れた父が相次いで死んでしまう。 ちはるが死んだあとも母はあたるを愛することなく、ちはるの幻惑を見るようになり、最後には「まぁ、いいか」という言葉を残して自殺してしまう。

家族をすべて失ったあたるは「自分は家族を殺した。他にも人を殺しかねないから、隔離してくれ」と頼み、精神病棟に隔離入院して15年になる。

そして、舞台は そのあたるが書いた自伝本(実際にはあたる自身に起こったことでないフィクションを交えた物語)を中心に進んでいく。

 

ここまで書いてしんどすぎてなにが喜劇なんだかよくわからなくなってしまったが、劇自体はテンポよく進むギャグ満載のつくりになっている。なにより、はじめはあたるが書いた自伝本の中の暖治(あたる) が主人公という感じで進んでいくので、途中までは爆笑もの。この平凡でしあわせな光景がこの演劇の本筋だと騙される。

しかし、何度もどんでん返しで驚かせつつ最後に現実ではあたるが家族を全員失って精神病棟に隔離されて15年経つ人物だと知ったときの絶望……。はかりしれない。

 

この舞台、親に愛されないあたる と 親に愛されすぎるちはる のダブル主人公となっていて、 この舞台を見て初めて「あれ、自分ってアダルトチルドレンなんじゃ……?」ってなった人いると思う(わたしです)。

わたしは完全にあたるタイプで、とにかくあたるが親に怒鳴られたり冷たくされたりするシーンやあたるが必死に親の気をひこうとする描写が自分と重なりすぎて、初観劇のときは過呼吸になるかと思うくらい涙がでた(しかもちっちゃい劇場でめちゃくちゃ前列に座ってたのでカーテンコールで顔があげられなかった)。

しかし周りに聞いてみるとちはるタイプの人はちはるを自分に重ねて泣いていたという。ちはるの「自分はできない。でもできなくちゃいけない」という重圧を感じるシーンが辛かったそうな。

 

あたるの生に救いはあるのか?舞台の収束は、あたるが「いま、君は幸せ?」と尋ねられ、「うん、幸せ」とこたえるところにある。

あたるの小さな嘘のせいで、弟も、父も死に、母が狂って死んでいったことは、もう変えられない。自伝本でいくら空想のあたるが "平凡"な生活をしていても、それは現実じゃない。

本当に?劇中で紹介されたシェイクスピアの言葉。

「人生は舞台。人はみな役者」

あたるが言うように、どれが本当で、何が嘘で物語でフィクションで現実なのか、わかんない。

 

物語は人を慰む。あたるは、本当に些細なことでしあわせになれると言う。見つけて!いますぐ。

 

 

だから、わたしは、死にたくなると、この舞台を観る。

風景のひとつひとつに、肌に感じる風に、においに、1日3度の食事に、生きることに、しあわせを感じること。それって要するに、もう映画やドラマや本や舞台、なんにでも使い古されたベタなテーマには違いない。

でも、ぜんぶを失ったあたるが ピーターパンのように、しあわせって、にこにこ笑うところを見るとなんだか、生きなきゃいけない気がするから。生きよう、やっぱり。命が息づく夏という季節に。