日なたの窓に憧れて

メンタルが弱い

それでも世界は終わらない

 

 

 

世界でいちばん好きな人(若手俳優)の現場期間です。今回の作品は楽しく通えそうなので初日ほっとしました。(推しって呼びたくないから呼び方を考えてるんだけどなんて書いたらいいのだろ。)

 

コメディ演劇なんだけど、遊郭がちらっと出てくる。そこで、病気になったりして見棄てられて死んでしまった遊女を主人公が寺に運んで死化粧をしてやるシーンがある。延々コメディなのでほとんどシリアスじゃないのに、わたしはそこでぼろぼろぼろぼろ泣いてしまった。

若手俳優のおたくなんてやってると、お金がなくて転げ落ちてしまうひとをたくさん見ることになる。まだ20歳にもならない高校生とか、年端もいかない子たちが性を売ってる。

どうしようもなくて、わたしたちは彼らがいないと心が死んでしまうから、彼のことを、彼の姿を、彼の存在を。だから自分の体をかえりみない。でも確実に身体は疲弊するし、心も毎回ぼろかすになるに決まってる。それでも辞められないのは、彼らのせいじゃないはずなのに、それでも彼らのためだ。もちろん、生活がままならないから仕方なくやっている人もいるだろうし、きっとそこにはそこにしかない理由や事情やなにかがあるんだろうけど。

おじさんがその野性に払ったお金で女の子たちは生きるために若い男にお金を払って、その若い男はかわいいおねーちゃんやホテルやブランド物の洋服やパチンコや酒タバコ娯楽に使って、そうした店のお偉いさんであるおじさんにまた戻ってくる。世界は滞りなく回っているし、経済は進退を繰り返しながら駆け巡ってるだけだ。過不足ないはずの世界なのに、なんでこんなに虚しいんだろうね。心ってやつはほんとに厄介だ。

どうしてこんなことになっちゃうんだろう。毎日うまく言えなくて歯がゆい。言葉がヘタじゃあ生きてる意味なんてないよ。

男って性が憎くて仕方なくなるときがある。どんな気持ちで暴かれるか、征服されるか、わかってなんかないし、慮ろうという気概すらないんだろうね。穢らしい。でも、そんなふうに毛嫌いする男って性を、わたしの心を救う彼もまた持ってるわけで。わたしは彼のことが死ぬほど、死にたいほど、殺してしまいたいほど好きだけど、信じてないから、彼がそうやって女を食い荒らしている可能性も充分あると思ってる。なにが違うんだって話だ。わたしが特別に思ってるかどうかの差でしかなくて、でもきっとそこが重要なんだろう。

愛なんて陳腐だ。そんな誰でも持ってるわがままはどこまでもチープだ。くだらないしとるにたらない茶番だ。でもほしい。あの人がほしい。穢いとわかってるけど止められないし世界もとまらない。20歳にもなってこんな思春期のようなことを考えてるだなんて本当に恥ずかしいのはわかってるよ。

 

あーあ。世界はやく終わらねえかなあ。